Production Notes

ジョン・タトゥーロ&ウディ・アレン、タッグのきっかけは理容師?!詳細はこちら

写真ジョン・タトゥーロとウディ・アレンジョン・タトゥーロが本作のアイディアを産み出したのは、友人との昼食の場だった。「僕は即興で思いついた話を、ふざけて話していたんだ。彼が笑い続けるものだから、僕もふざけ続けたのさ」とタトゥーロは言う。昼食後、この物語はもっと煮詰める価値があるかもしれないと思い、彼の理容師を含む友人数名にこのアイディアを話したところ、その理容師がそれをたまたま彼の客であったウディ・アレンに伝える。そしてアレンがその話を大変気に入り、タトゥーロに連絡を取ってきた。「ウディの所へ行って原案を説明すると、彼は“それは面白い”とか“つまらない”とか“それは面白くなる可能性がある”などと言ってくれた」とタトゥーロ。アレンは当時を振り返りこう語る。
「ジョンは変わっていてね。面白いアイディアを思いついたな、と思ったんだ。愉快な登場人物がいて、ロマンスがあり、そして現実味のある人間くさい部分もあった」
こうして、タトゥーロが脚本を書き、アレンがそれに対してフィードバックし続けるという約束が取り交わされた。タトゥーロは振り返る。「彼は快く時間を割いてくれたんだ。時には厳しい意見もあったけど、ウディ・アレンのような人が時間を割いてくれるんだから、これには何か特別なものがあるに違いないと思えた。ウディは彼なりの方法で、僕がこの話を掘り下げていけるよう、励ましてくれたんだと思う。そして結果として、僕はこの映画で僕らしさを発揮できた。ふざけたコメディー以上の、もっとずっと絶妙な映画が誕生したんだよ!」

非・美男子ジゴロが、女性たちを魅了してしまう理由詳細はこちら

写真ジョン・タトゥーロとヴァネッサ・パラディゲイであろうとストレートであろうと、映画の中で男娼が描かれる場合は、飛びぬけて魅力的な男性が演じることが多いが、ジョン・タトゥーロ演じるフィオラヴァンテは美男子として通すには少々無理がある。タトゥーロは言う。「映画の中にはいつだって理想的な左右対称の顔を持つ人たちが出てくるけど、現実世界には色々な人がいるからね。一度服を脱いでしまえば、いい身体をしていてもそうでなくても対等さ」 本編中でありとあらゆる女性を虜にするフィオラヴァンテの魅力は、容姿から発せられるというよりも、女性を理解する人並み外れた能力にある。「セックス好きの男が、必ずしも女性を好きだとは限らない。フィオラヴァンテは話の聞き役になることを厭わず、彼女たちを人間として扱い、とても敏感で優しいんだ」とタトゥーロは言う。
フィオラヴァンテと恋に落ちる未亡人アヴィガルを演じたヴァネッサ・パラディは語る。「彼女は今まで彼のような人に出会ったことが一度もない。彼は彼女の頭と心が何を求めているかに、心から注意を傾けてくれるのよ」
恋人との間に3Pの相手を求めるパーカー医師を演じたシャロン・ストーンは言う。「フィオラヴァンテが女性たちに提供するのは、彼の存在そのもの。一緒に居てくれて、自分に目を向け関わろうとし、無防備で、時間を割いてくれて、豊かな愛情も注いでくれる。そして心までその場に寄り添わせてくれる。こんな魅力的な人はいないでしょう?彼は愛がどんなものかを、女性たち一人一人に気付かせていくの。彼は触れ合う全ての人たちに、そして自分自身に対しても、時にはただそこに存在してあげるだけで、人の心は開け放たれるという事を教えてくれるわ」

俳優としてのウディ・アレン詳細はこちら

写真ウディ・アレン本作はウディ・アレンが他の監督の下で演技をするという稀な作品の一つだ。「僕はジョンの、監督として、俳優としての仕事ぶりをとても尊敬しているし、これは自分の範囲内の役柄だと感じたんだ」と語るアレン。「もしジョンが僕に警察官か何かの役をくれていたとしたら、そうはできなかっただろうね。僕は本当は俳優じゃないんだ。でもこの役は僕にもできると思ったんだよ」
自分の俳優としての才能に控えめな評価をするアレンだが、タトゥーロや他キャストたちの意見はそれとは相反する。「相手役を演じていると、彼がどれだけ素晴らしい役者かを目の当たりにすることになる」とタトゥーロは言う。「彼は演技中とても絶妙なことをしてくれた。彼はアドリブが好きだから、何通りかの違った方法を試すのは楽しかったよ。かなり過小評価されている俳優だと思う。彼はいつも時間に正確だし、いつでも仕事を始められるんだ」
するとアレンはこう言う。「僕には監督業がどういうものか分かっているから、ジョンが僕にして欲しいと思うことは一つ残らずしてあげたいと思ったんだ。僕は監督としても活動しているからね。自分で指示を出したくなる衝動、脚本家としての衝動、その他全ての衝動を完全に捨て去ろうとした。そして彼が望むカットを彼が撮りたいように、撮りたいだけ撮ってもらおうと思った。この映画は彼の子供なんだから!」
また、アレンはリーヴ・シュレイバーとの共演に少々おののいていたという。「僕はリーヴ・シュレイバーとの共演シーンの前には少し緊張したよ。以前、彼の舞台を見たことがあって、とんでもなく素晴らしい俳優だったんだ。だから彼は、僕が話し始めた途端、僕に呆れて“一体、誰と共演させられてるんだ?”と思うんじゃないかって思ってたんだ」
シュレイバーはこう言う。「彼を間近で見られたのは衝撃的だった。彼がどれほど天才的で身体的にも優れたコメディアンであるかということが見てとれたんだ。証拠が欲しければ、まるで手品師のような彼の手の動かし方やタイミングをただ観察してみるといい。しかも、僕は彼が野球ボールを投げるところも見たんだ!ウディ・アレンが抜群の野球選手だなんて、誰が想像できる?!」

監督ジョン・タトゥーロが描く、多種多様な女性像詳細はこちら

外見上は極端に正反対なアヴィガルとパーカー医師だが、二人はよく似た感情を味わうことになる。「アヴィガルは信仰や住む地域で抑圧されている一方で、パーカー医師は全てを手に入れている。しかし彼女たちは共に籠の中の鳥で、二人はまるで線の端と端のようなものなんだ。」とタトゥーロは言う。彼女たちはそれぞれ慣れ切った世界から飛び出し、自身を自由にする必要があると感じていた。ただフィオラヴァンテとパーカー医師の関係が“興奮”や“所有欲”に基づく一方で、アヴィガルとの関係はより深い相互的な結びつきになっていく。「アヴィガルとフィオラヴァンテはくっつきそうだと思うかもしれないが、彼らが住んでいる世界には大きな違いがある。でも、それでも彼は彼女の世界を広げるし、彼女もまた彼の視野を広げているんだと思うよ」とタトゥーロは語る。
監督も務めたタトゥーロは本作の中に多種多様な女性像を作り上げている。彼はこう説明する。「僕は女性たちに全く違うタイプになってもらいたかった。小柄、大柄、黒人、白人、ヒスパニック。草稿の初期段階では、もっと年齢の高い女性もいたんだよ。現実世界でも、映画を作っていく中で多くの女性たちと働いてきたけれど、彼女たちにはますます興味をそそられていく。もしも立て続けに映画を5本作らせてもらえたとしても、僕は男性ばかりの映画なんて絶対に撮らないね。そんな映画は僕自身見たくもない。僕が敬愛するイングマール・ベルイマン、ジャン・ルノワール、トリュフォー、そしてルイ・マルといった監督たちが、皆とても強烈な女性キャラクターを作り上げてきたからだ」

監督をしながら演じるとは・・・詳細はこちら

写真ジョン・タトゥーロタトゥーロは脚本上でフィオラヴァンテという男に自身の多くを投影させたが、だからと言って演じるのが簡単だったということではない。「フィオラヴァンテは愛すべき役柄だけど、演じるのは難しかった。なぜなら僕はその役を軽すぎにも重すぎにも歪めることができたからだ。でも実際はその中間でなければいけなかったんだよ。それはまるで役の綱渡りだった」とタトゥーロ。彼には演じると同時に監督という役割もあったので、自分の演技に疑問が生まれた時には、彼はシーンの再生を見るか、撮影監督のマルコ・ポンテコルヴォに意見を求めた。時々、ウディ・アレンに尋ねることもあった。「役割を変え続けることは、少し統合失調症みたいなものだったね。」とタトゥーロは笑う。

役柄と共鳴した、ヴァネッサ・パラディの役づくり詳細はこちら

写真ヴァネッサ・パラディフランスが誇る女優であり、国際的なスター歌手でもあるヴァネッサ・パラディは本作で英語を話す役へのデビューを果たした。「これは素晴らしい役だよ。でも彼女にとってはそれ以上のものがあったと思っている。この役柄は彼女と深く融合していたね」と語るタトゥーロ。「彼女はいわゆる自分の一部分を差し出すような演技を見せてくれた。僕にも時々そういうことが起こるけれど、自分の私生活で起きている事柄だったり、年齢だったり、その他色々なことが役柄と共鳴することがある。そして現実と演技を引き離すことができなくなってしまうんだ。俳優と役柄が互いに共鳴した時は、頭で考える事なしに突き進めるんじゃないかな」
タトゥーロは正統派ユダヤ教コミュニティーのリサーチに、本を読み、数多くの人達と会うなどして、数年間の月日を費やし、パラディもこのコミュニティーを離れたという若い女性と多くの時間を共にした。「彼女はとても強くて、若く美しい女性よ。25歳だけど105歳のような人生を生きているの」とパラディは言う。「彼らのしきたりについて私が理解できるように手伝ってくれたわ。彼女はイスラエル出身で3年前に英語を習ったばかりでまだそのアクセントが少し残っていた。だから、私はそれも少し拝借させてもらいつつ、自分のフランス語のアクセントも少し強くしたわ。ジョンはアヴィガルがどこから来た娘なのかを示したがらなかったから」
パラディは自分の衣装にも助けられた。「私の頭はカツラの下で固定されていて、きついストッキングを履いていたの。それらの服装を身に着けることでの身体的刺激が、私にアイデンティティを与えてくれることに気付いたのよ。それは私にとって本当に大きな影響だったわ」

ジゴロたちを通しての、現代へのメッセージ詳細はこちら

写真ジョン・タトゥーロとウディ・アレン本作の登場人物―フィオラヴァンテ、マレー、アヴィガル、パーカー医師、ドヴィ、そしてセリマ ―を結びつける特性は、みなが誰か他の人と繋がりたいと望んでいる事である。「それは生きるエネルギーだ」とタトゥーロは言う。「人生に壁が立ちはだかっている人もいれば、全てを手に入れたかのように見えて、まだ何かが足りていない気がしている人もいる」
マレーとフィオラヴァンテの独特なパートナーシップが、映画の中の登場人物全員に影響を及ぼして波紋を起こすことになる。マレーとアヴィガルの子供たちが交流を始め、アヴィガルとパーカー医師の切望と探求心は満たされていく。ただ単に楽しみを追求するセリマも満足し、ドヴィはフィオラヴァンテに習ってアヴィガルに対する愛情表現の仕方を学んでいく。そしてフィオラヴァンテ自身も自分自身の心が導く道をみつけるのである。どの人物も巡ってきた人生のチャンスを、掴めるうちに掴もうとしている。パラディは言う。「アヴィガルの台詞で“私たちが生きているのはほんの少しの間だけ”というのがあるけれど、それは、“人生は、生きているうちに生きろ”という意味なの。そこに美がある時に、チャンスが目の前を通り過ぎる時に、見ていないで掴み取れ!ってね。どんな人でも少しくらいの幸福をつかむ権利があるはずだわ、たとえたくさんでなくてもね」